2004年10月Disney旅行記
秋の旅行をDisneyに決めた 父と母。
子供達に(1号小2・2号年中・3号1歳)内緒で
ディズニーリゾートにやってきました。
1号・2号は、記憶にないくらい小さなころに入園しただけ・・・
ディズニーランドの駐車場で目覚めた子供達
朝の反応は~想像と違い あまりよくなかった
さてさて、この家族 いつディズニーに目覚めるのか
【ほぼ・初Disney】
子供たちは、小さいころ(1号・1歳と4歳)(2号・1歳)
記憶に残る年齢になってからの~
夢の国の朝
夢の国の朝は、早い
・・・まだ6時と言うのにランド駐車場のトイレは、大行列!
しかも手洗い・鏡前があまりに混んでいてビックリ
皆さんとっても慣れていて 洗顔、はみがき
お化粧と準備に余念がない。
でも・・・手を洗う人を優先にしてくれたらいいのに~
・・・大人げないな~ とも思いました。
ディズニーランドに入園!!
この日開演8時だったと思いますが、
エントランスに人がどんどん向かっていく
我が家は、エントランスの状況も考えず
持ってきたおにぎりを食べてから~
のんび~りエントランスへ。
今ならとりあえず 私並びますけど(''◇'')ゞ
先ずは、みんなでチケット販売ブースへ並びました。
このあたりが慣れていない
今なら絶対 分散して並ぶのにな
子供達のチケットは、買わなければなりませんでしたし
記憶が確か出ないのですが、送られてきた引換券を
チケット販売ブースで替えたような?気がします。
チケットを購入後~入場口へ。
開演の雰囲気にのまれながらなだれ込むように入園
Disenyハロウィーン
この時、ハロウィーンの時期でして
よく知らなかったので、全く不思議に思わなかったのですが、ハロウィーン仮装の方々を多くみました。
ハロウィーンの仮装もまだまだ珍しかったころです。
田舎者は~これがDisneyなんだと、Disneyだから仮装が当たり前なのか?と思っていたのか?全然 気になりませんでした。
写真こそないのですが、『美女と野獣』に出てくるポット婦人とチップに仮装した親子を見ました。
イメージ
©下の絵のポット婦人・チップ君は、ワンス・ア・ポンア・タイムのお菓子の箱より切り抜き拝借していますm(__)m
どうにも上手く書けないので。。。断念しました(>_<)
それにしても絵心なくてすいません
手作りの物で 忠実な色使い
今思うと、相当グレードの高い仮装でした
多分あのころは、入り口でシールをもらったらOKだったのではないか?と思います。
キャストさんから入り口でシールをもらっている人がいて・・・
【ほぼ初ランド】での過ごし方
人混みに完全に呑まれていました
『バズ・ライトイヤーのアストロブラスター』ができたばかりの年みたいで
そりゃーそりゃー並んでました
この日この家族は、乗りたいもの…というより
乗れるものに並びました。カリブの海賊』 『ジャングル・クルーズ』 『ウェスタン・リバー鉄道』 『魅惑のチキルーム』
もちろん『トムソーヤ島いかだ』にも
このころから『のんびり作戦』は、構築されていたみたいです
当時、撮ったビデオに…
ビデオにこんな会話が偶然 撮ってありました。
『蒸気船マークトウェイン号』に乗っていると1号の様子がおかしい・・・
母 「1号、どうしたの?」
1号「・・・。」
母 「んー?」
1号「・・・バジュ乗りたい。。。」
母 「え?バズ」
1号「・・・」頷く
母 「うーん。でも混んでるよ~。お父さ~ん1号、バズ・ライトイヤーに乗りたいんだって~」
父 「バズか~並ぶぞ~」
母 「バズ並ぶってよ~」
父 「2時間くらい並ぶんじゃないかな~」
母 「1号並べるの」
1号「うん・・・」頷く
父母「ん゛~じゃ~バズ行くか~」
子育て中って…
Disney大好き・大家族ならでは話&子育て話
子育てを振り返る
我が家は、ビデオを撮りっぱなしで 編集しないのでホントに偶然発見されました。
折しも、1号が中学に上がるころだったかな・・・反抗期も目前だったかと。
母は、この映像を見たとき涙が出ました
1号が小さくて可愛くて抱きしめたくなりました。
確か、この映像を見た時は、もう人前で手を繋がなくなっていた頃でした。
もっとたくさん抱きしめてやればよかった。もっと甘えさせてやればよかった。。。
そう 強く思いました。
我が家には、子供がたくさんいます。
上の子は、少なからず 甘えたいと思っていても
母の腕に小さな子がいたりして 我慢したり、待たされたりしたことでしょう。
ある方に「母の愛は〇分の1なのね・・・」と言われたことがあります。
〇は、子供の人数です。
言われた当時は、3人だったので 母の愛は、3分の1 でした。
その方は、一人目を生んだばかりでしたし、なんの気ない、悪気のない言葉のつもりだったのかもしれませんが・・・母には、とてもショックな言葉でした
その方のお顔は、覚えていませんが、いまでも心に残っています。。。
ありもママは、そんな風に我慢させたことを可哀そうに思いながらも
子供達には、その分別の幸せを感じて育ってほしいと切に思うのです
家族・兄弟のいる喜びを
これは、母のわがままかもしれませんね・・・
たまたま会話が残っていて 本当によかったとても懐かしく 母の大事な宝物の思い出
しかしこの映像は、他の兄弟達にとっては、格好の笑い話になりまして・・・
いつも 威張っている1号も
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*
蒸気船マークトウェイン号から降りたらバズに向かうことになりました
つづく