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2016年3月Disney旅行記
4月から書いてきました「2016年3月のDisney旅行記シリーズ」
前回は、ホテルのご紹介に従事させていただきました。
今年3月の一年越しのDisney旅行は、計画6ヶ月・・・パークin 1年ぶり・・・
Disneyの神様がくれた数々の奇跡・・・
我が家の今回のDisney旅行への想いはひとかたならぬものでした。
本当に本当に
この計画が持ち上がってからというもの
それはそれは、家族みんながとっても とっても楽しみにしていました
でも 今回の旅行は、いつもの様な浮かれたありも家族とは少し違いました。。。
今回は、2016年のDisney旅行記を時系列で『我が家が あの日あの時をどう過ごしたのか・・・』を記録したいと思います。
この記事は、今までのDisney旅行のお話とは、少し違うものです。
東京ディズニーシーホテルミラコスタの様子を知りたいだけ~という方は、こちら「ミラコスタ紹介シリーズ」をご覧ください
www.disney-daisuki-daikazoku.com
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Diseny旅行~間際~
再入院後、安心したのも束の間。
父の容態は、日に日に悪くなっていきました。
あまりの急変に、間に合わないかも!?と、心配なほどに。。。
父の容態は、日に日に悪くなっていきました。
あまりの急変に、間に合わないかも!?と、心配なほどに。。。
出発予定日前日に、仕事を急遽休みにして、主人を病院に行かせ。
子供達が学校に行っている間、ありもママは、出発の準備に追われていました。
子供達が学校に行っている間、ありもママは、出発の準備に追われていました。
そして、もう一つの準備もしなければなりませんでした。
それは、もしもの時のとても悲しい準備でした。
それは、もしもの時のとても悲しい準備でした。
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Diseny旅行~前夜~
つづきです明日の出発を目前に父の容態が悪化。
急遽、仕事を休業して、一足先に主人だけ病院へ向かわせました
父を見舞って 最終電車で帰ってきた主人。
子供たちがいないところで「父をみても驚かないように・・・」と、私に言いました。
急遽、仕事を休業して、一足先に主人だけ病院へ向かわせました
父を見舞って 最終電車で帰ってきた主人。
子供たちがいないところで「父をみても驚かないように・・・」と、私に言いました。
十日ほど前に会った時とは、まったく違った姿になってしまったからと。。。
主人は、病室に入った時、あまりに変わってしまった父を見て、泣いてしまったそうです。
主人は、病室に入った時、あまりに変わってしまった父を見て、泣いてしまったそうです。
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父の容態
おじいちゃんの危篤状態。
子供達は、おじいちゃんとは、お正月に会って以来・・・弱ってきては、いたものの
まだ、お家で普通に生活しているおじいちゃんと会ったのが最後。。。
子供達は、おじいちゃんとは、お正月に会って以来・・・弱ってきては、いたものの
まだ、お家で普通に生活しているおじいちゃんと会ったのが最後。。。
きっと 姿をみたらみんな驚いてしまうだろう・・・
死期が近い人の姿を見ることは まだ誰も経験していない。
私の祖母の入院中の姿を見たのは、上三人の子供だけ・・・
曾祖母の最期に会っているとはいえ、1号だってまだ低学年の頃。
みんな記憶にないだろう。。。
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Diseny旅行~出発~
出発の日、
私は、主人には聞こえないように、気づかれないように
道中までの合間に子供達一人一人に こっそり話をしました。
私は、主人には聞こえないように、気づかれないように
道中までの合間に子供達一人一人に こっそり話をしました。
母 「あのね。おじいちゃん、お正月の時とは、まったく様子が違うみたい。」
子供「そうなの?」「そんなに?」
母 「お母さん、この前会っているけど、それでも驚かないように・・・って言われたくらい。みんなは、お正月のおじいちゃんの姿が最後だから・・・驚かないでね。」
みんな、とてもショックなようでした。
おばあちゃんからの電話の内容も 多少耳に入っていたし、
お父さんが仕事を休んで 先に会いに行ったのも、それだけ緊急だったから・・・
だけれど、まだそこまでの想像には、至っていなかった子供達。
でも、伝えたことで、少し心構えができたかな・・・1号と合流して病院へと向いました。
途中車が渋滞し、思ったより時間がかかりました。
焦る気持ちを抑えていましたが、ついて出たのは
「大丈夫、おじいちゃんは、みんなを待っていてくれている。」という希望の言葉。。。
母 「お母さん、この前会っているけど、それでも驚かないように・・・って言われたくらい。みんなは、お正月のおじいちゃんの姿が最後だから・・・驚かないでね。」
みんな、とてもショックなようでした。
おばあちゃんからの電話の内容も 多少耳に入っていたし、
お父さんが仕事を休んで 先に会いに行ったのも、それだけ緊急だったから・・・
だけれど、まだそこまでの想像には、至っていなかった子供達。
でも、伝えたことで、少し心構えができたかな・・・1号と合流して病院へと向いました。
途中車が渋滞し、思ったより時間がかかりました。
焦る気持ちを抑えていましたが、ついて出たのは
「大丈夫、おじいちゃんは、みんなを待っていてくれている。」という希望の言葉。。。
この言葉を言ってしまってはいけないと思っていましたが、
(まるで父の死がそこまで来ているようで・・・)
私は、呪文のように「間に合う。大丈夫。待っててくれる」と、呟いてしまいました。
私は、呪文のように「間に合う。大丈夫。待っててくれる」と、呟いてしまいました。
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おじいちゃんと対面した 子供たちの様子
病院へ着いたのは、お昼を少し過ぎたころでした。
病院は、とても静かで、我が家のような大人数の見舞客は、他にいませんでした。
病室に、主人の母と兄弟が先に到着していました。
父は、ベットを少し起こして座るようなかたちで寝ていました。
私が最後に見た父よりも、もっと痩せていて、
入れ歯を入れていないせいか、お顔も変わって見えて、身動きも取れないくらい弱った姿でした。
子供達は、それはそれはショックだったと思いますが、
「おじいちゃん、みんなが来てくれたよ~わかる~?」という義理の母の声に父が反応している姿を見て
みんな我に返ったように、それぞれが、近寄っていきました。
主人が「おう、父ちゃん、みんなで来たよ~」と、頭や顔、手を撫でました。
「おじいちゃんにわかるようにさわってあげて・・・」と促されると。
手をさすったり握ったりして「おじいちゃん1号だよ。」「おじいちゃん、2号だよ。」「おじいちゃん、3号だよ。」と口々に話しかけました。
病院は、とても静かで、我が家のような大人数の見舞客は、他にいませんでした。
病室に、主人の母と兄弟が先に到着していました。
父は、ベットを少し起こして座るようなかたちで寝ていました。
私が最後に見た父よりも、もっと痩せていて、
入れ歯を入れていないせいか、お顔も変わって見えて、身動きも取れないくらい弱った姿でした。
子供達は、それはそれはショックだったと思いますが、
「おじいちゃん、みんなが来てくれたよ~わかる~?」という義理の母の声に父が反応している姿を見て
みんな我に返ったように、それぞれが、近寄っていきました。
主人が「おう、父ちゃん、みんなで来たよ~」と、頭や顔、手を撫でました。
「おじいちゃんにわかるようにさわってあげて・・・」と促されると。
手をさすったり握ったりして「おじいちゃん1号だよ。」「おじいちゃん、2号だよ。」「おじいちゃん、3号だよ。」と口々に話しかけました。
一番、怖がった・・・のは、4号です。
『怖がった・・・』少し言葉が違うかもしれません。
『怖がった・・・』少し言葉が違うかもしれません。
4号は、どうしたらよいのか、どう接したらよいのか、わからない。
いろいろな意味で 怖がっているような・・・恐れているような感じで・・・近寄れない・・・近寄りたくない・・・そんな様子でした。
それは、大きい子たちよりも、ごまかしのない、生きる者の素直な気持ち、反応だったんだと思います。
私に促されて、恐る恐るでも「おじいちゃん、4号だよ。来たよ。」と手を少し撫でたら、落ち着いたような様子でした。
おじいちゃんは、それぞれの声掛けに頭を小さく頷かせて、応えてくれていました。
父は、少しの水をスポンジに湿らせたものを口に含むことしかできなくなっていました。
口が乾くのか「お水飲む?」に、反応して、口にスポンジを含ませると自分から口をつぼめて飲みました。
私たちの後から父の兄弟、伯父や叔母夫婦も来て病室は、我が家の見舞客でいっぱいになりました。
4人部屋にベットが3台。父のベットの横は、一台分空いていました。
とは言え、あまりに人数が多いので交代で付き添い、残りは、同じ階のお茶のみスペースに移動しました。
誰かれなく、みんなでおじいちゃんに付き添いました。
特に1号と2号は、いろいろなお話を(声掛けを)したようでした。
おじいちゃんは、それぞれの声掛けに頭を小さく頷かせて、応えてくれていました。
父は、少しの水をスポンジに湿らせたものを口に含むことしかできなくなっていました。
口が乾くのか「お水飲む?」に、反応して、口にスポンジを含ませると自分から口をつぼめて飲みました。
私たちの後から父の兄弟、伯父や叔母夫婦も来て病室は、我が家の見舞客でいっぱいになりました。
4人部屋にベットが3台。父のベットの横は、一台分空いていました。
とは言え、あまりに人数が多いので交代で付き添い、残りは、同じ階のお茶のみスペースに移動しました。
誰かれなく、みんなでおじいちゃんに付き添いました。
特に1号と2号は、いろいろなお話を(声掛けを)したようでした。
3号・4号も付き添いながら、動き回る5号の面倒をよく見てくれていました。
その時が数日先なのか、一週間先なのかもわからないが、時は、近づいてきている。。。
父の頑張りもあって、今すぐどうこうということはないと思われるが
もしもの時は、遠方から向かってくる私たちがどのくらいで到着できるか。。。とも聞かれました。
基本、病院に泊まれるのは、一人。
母が泊るか、いつから泊まるかを決めなければならない。
しかし、毎日病院通いをしていて、母にも疲れが見える。
病院では、身体が休まらないのでは・・・の心配。
母が付き添う場合、
個室であれば、同じ病室の簡易ベットで寝ることができるが、
個室となると高額な差額ベット代が請求される。
だから、いつから個室にするかは、家族次第。
もし、個室ではなく、大部屋のままにした場合は、付き添いの人用の部屋に泊まることになり、
もしも、消灯時間中に その時を迎えた場合・・・母は、病室には入れず、支度が整うのを別室で待つようになる。
また、死に一番近い職業に携わっているだけあって、こんな話もしてくれました。
死を迎える時(タイミング)は、逝く人が決める…ということ。
それが、夜なのか、朝なのかもわからない…。
死を一人で迎える方もいれば、家族のいる時に迎える人もいる。
皆さんが揃うのを待つか、その前に逝ってしまうか、それは、ご本人の意志。
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看護婦さんのお話
途中、看護師さんが、家族のいるお茶のみスペースへやってきました。
そして、今後の話をされました。
子供達に父の付き添いを頼み、大人は看護師さんのお話を聞きました。
正直、奇蹟は起こらない。
父の容態は、今のまま・・・好転はしないだろうと。
いつか、脈がよめなくなる時がくる・・・その時は心の準備が必要。
そして、今後の話をされました。
子供達に父の付き添いを頼み、大人は看護師さんのお話を聞きました。
正直、奇蹟は起こらない。
父の容態は、今のまま・・・好転はしないだろうと。
いつか、脈がよめなくなる時がくる・・・その時は心の準備が必要。
その時が数日先なのか、一週間先なのかもわからないが、時は、近づいてきている。。。
父の頑張りもあって、今すぐどうこうということはないと思われるが
もしもの時は、遠方から向かってくる私たちがどのくらいで到着できるか。。。とも聞かれました。
基本、病院に泊まれるのは、一人。
母が泊るか、いつから泊まるかを決めなければならない。
しかし、毎日病院通いをしていて、母にも疲れが見える。
病院では、身体が休まらないのでは・・・の心配。
母が付き添う場合、
個室であれば、同じ病室の簡易ベットで寝ることができるが、
個室となると高額な差額ベット代が請求される。
だから、いつから個室にするかは、家族次第。
もし、個室ではなく、大部屋のままにした場合は、付き添いの人用の部屋に泊まることになり、
もしも、消灯時間中に その時を迎えた場合・・・母は、病室には入れず、支度が整うのを別室で待つようになる。
また、死に一番近い職業に携わっているだけあって、こんな話もしてくれました。
死を迎える時(タイミング)は、逝く人が決める…ということ。
それが、夜なのか、朝なのかもわからない…。
死を一人で迎える方もいれば、家族のいる時に迎える人もいる。
皆さんが揃うのを待つか、その前に逝ってしまうか、それは、ご本人の意志。
などなど。。。もっといろいろお話されたかと思いますし、言い回しも違うかもしれません。
看護師さんのお話は、私たちの心の準備、覚悟というものを自然な形で導いてくれたように思いました。
つづく
つづく